株式投資とその周辺

初心者の勉強記録です

30歳になりました

 便所の隅っこの落書きみたいなTwitterを飽きもせずに続けている。最近は株と仕事の文句を吐き出すだけになってしまった。幼少期には(今もだが)尊大で肥大した自己意識をぶら下げて歩いていた(いる)ので自分はいつか何者かになれると信じていたが、気か付いたら場末の小病院で自分にとって不適切と思える超高齢者医療に人生の大部分をささげるだけの人間になっていた。おそらくその頃想定したいつか、というのは今くらいの年代だと思う。先日、30歳になった。

 現代は認識できる社会の範囲が極めて広いので、社会にとっての何者かになることは容易ではなくて、そのためにきっと私たちは身近な帰属先を求めている。婚活という営為はまさにその延長にあって、特に仕事(特に超高齢者医療への関与)に対して不全感の強い私にはよりパーソナルな場で誰かにとっての何者かでありたかったのだと今では思っている。

 婚活期間中にはひどくどろっとした文章を書いていたもので、今となっては読み返すのも正直しんどい。飲酒量は今よりもずっと多かったし、二日酔いでない朝はほとんどなかった。満たされない人生を直視するのも苦痛であり、せめてコンテンツ化することで事象と距離を置こうとする試みはしかし、それなりに成功して私を日常につなぎとめてくれ、そのまま婚活の場にとどまることをも可能にし、また、そうして8月に結婚することもできた。

 うつ病の後輩には文章のキレがなくなったと指摘されたが、人間性を砥石で削られる過程が気持ちの良いものであるはずもなく、それはそれでよかったのかもしれないと思っている。つきものが落ちたように、書きたいもの・書かずにはいられないものがなくなってしまった。その後に残った燃えカスが株式投資の話と高齢者医療への愚痴で、自分が空虚になっていく心地よさを感じている。

 

 長期予後を期待できない本来なら緩和が対応の主体となるべき認知症終末期で寝たきり意思疎通不能経口摂取不可能または拒否という状況の限界高齢者診療もあまり考えず、訴訟にならないように配慮した長文のカルテをきちんと書きつつパターナリスティックな診療の比率を意識的に上げている。インフォームドコンセントなどというどっかから引っ張ってきた高尚な概念は公費で無限に延命できて主体より家族を重んじる日本に全然マッチしない。柿の木は桃の根っこに接ぎ木できても、文化は柿の木ではない。自分にとって医学的に正しい診療がなるべく通るように病状の説明をしている。そうでなくては家族は責任を負いたくないために彼らにとって不適切な医療を求めてしまうからだ。ただ、認知症終末期で看取り方針で亡くなりかけていた患者さんがたまに突然食事を食べ始めて復活することもある。

 

 連休中(といっても土曜日午後から月曜日午後までの50時間程度の休みしか得られなかったのだが)、大学のあった地方都市にふとドライブに行くことにした。理由としては、渋滞を避けくて大都市圏を通過しないで移動可能な地方都市で、かつ50時間以内に無理なく帰宅してそのまま当直する体力が残っている所がそのあたりだったからだ。強烈な硫黄泉に浸かり、牛肉をたらふく食べた。高地の観光道路沿いはすでに紅葉していて、森林限界近くの灌木の茂みが千々に色づいているのを見た。天気の関係でメインの観光スポットの眺望はてんでダメで、10分程度誰かのペットのワンコと霧の中にたたずみ寒さに震えていたが結局見えずじまいだった。―何でもない日常をたまに送ることができると口内炎が治って、飲酒量が減る。いや、後者に関しては嘘かな、旅行期間中は連日大量飲酒していた。

 自分にとっての20代終盤は婚活まわりのつきものをどんどん身に着けて邪悪なミソジニストになってから空っぽに戻るという過程だった。突然飯を食べ始める一度は終末期と思われていた高齢者のように、一度人間性が焼失して空虚な私として生まれたような気持ち。そういえば、旅行中の通り道で空腹に負けて自分が住んでいた頃には買ったことのない洒落たパン屋で車中のおやつをかったのだけれど、中に大量にクリームチーズが入っていておいしくて感動した。酒以外に入れる何かを、これから増やしていかないといけない。